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2015年12月1日火曜日

「魔法の世紀」落合陽一インタビュー:「社会の中にファンタジーを実装する」


11月27日に発売された、メディアアーティスト落合陽一さんの著書「魔法の世紀」。

魔法って何のことだろう?と思った方も多いのではないでしょうか。「いまはちょうど映像から映像以外への転換点」であり、「映像の時代と、コンピュータの時代との対比で書いた本」だと語る、落合さん。

その気になる中身についてお話を伺いました。


***
コンピュータとは何者か?


ギズモード(以下ギズ) 「魔法の世紀」の最初は、「コンピュータっていったい何者なのか?」という問いかけを紐解いていく章ですよね。

落合陽一さん(以下落合) 「ジミー・キンメル・ライブ!」に、バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティとドクがタイムトラベルしてきた回が、めちゃくちゃわかりやすいです。


動画を見る

ショーにタイムトラベルしたマーティとドクは、スマートフォンに初めて出会います。ドクは「小さなスーパーコンピュータだ…これがあれば天文学者たちは複素方程式を解くことだってできるぞ…」と感動に打ち震えるのですが、ホストのジミー・キンメルは、写真を撮ったり絵文字を送ったりできる携帯電話だよ~と説明します。


落合 コンピュータが当初の予定の、弾道計算や暗号などの解析や専門のための計算装置のままで、「メディア装置」にならなければ、天文物理学とか複素方程式を解いてたわけです。そういう時代から(今のスマートフォンが)大きく逸れたのは、コンピュータがメディア装置になって映像と音を扱うものだっていうマルチメディアコンピュータの時代があった後、コミュニケーションデバイスになったからなんですよ。

ドクは、アイバン・サザランドより一回り年上の時代設定なので、高校や大学で物理をやっていたときにコンピュータはありません。そして研究を始めた後には、パンチカードでプログラミングして数式を解くのが主流だったはずです。それゆえ現代のコンピュータ観との差は大きい。この演出は、マルチメディア装置以前のコンピュータってなんだったんだろうっていうことを問いかけていて、それについて本の最初に書いてます。

コンピュータって電化製品か、ガジェットかって思われるけど、情報と知性という人間の本質的な思想の問題をはらんでいて、そのおもしろさがありますよね。コンピュータと人の組み合わせで起こる進化によって、人間の思考のプロセス自体が変えられているんです。

例えば、ザハ・ハディドやフランクゲーリーのような脱構築派の建築ってとんでもない形だけど、だいたいコンピュータで構造計算がされているから建つんですよ。

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