2014年1月4日土曜日

Linuxが素晴らしい理由は技術ではない、コミュニティーだ。

LinuxはデスクトップPCのOSにはなれなかったが、コミュニティーの力により、2013年には普遍的な存在となっている。

2013年はLinuxがどこにでもあった一年だ。Linux Foundationのエグゼクティブ・ディレクター、ジム・ゼムリンは、Linuxはコンピューター分野の隅々まで入り込んでいるという。「スマートフォン、タブレット、家電、自動車、クラウド、高性能コンピューター、ゲームプラットフォームその他色々だ。過去も現在も、文字通りどこにでも存在するのがLinuxだ。」

どのようにしてLinuxはテクノロジーの隅々まで普及したのか?そもそもLinuxは、マイクロソフトやウィンドウズに取って代わるパソコン用OSになるという当初の目標を、全く実現できていない。カーネルやコードはLinuxの歴史のごく一部でしかない。Linuxの普遍性は秀でた技術というより、コミュニティーを生み出し、それを結び付ける懐の深さに帰結する。

優れている

とはいえ技術的に劣っていたとしても、コミュニティーだけでLinuxが成功するはずはない。オラクルのLinux、MySQL、Virtualizationそしてオープンソース・プロダクト・マーケティングのシニアディレクターを務めるモニカ・クマールはこう話す。「優れた技術なくして、優れたコミュニティーはLinuxのために集結することはなかった。」これこそがオープンソース・プロジェクト成功の鍵を握る重要な要素、つまり最初のコードが優れていることだ。

そうでないこともある。

ローンチされた当初Linux は、UNIXの代替品として「十分」な程度で、UNIXより優れていたわけではない。InfoWorldはLinuxが登場して10年以上経過した今も、「UNIX系統のOSであるSolarisのほうが技術的に秀でている」と断言している。何といってもUNIXは特定のアプリケーションとハードに特化したOSなので、ベンダーがその特徴を最大限活用することができるのだ。

IBMが説明するように、Linuxは真逆なのだ。

GNU/Linuxの開発はUNIXに比べて多様性に富んでいる。開発者の経歴は様々で、経験値や意見もそれぞれ異なる。Linuxのコミュニティーではツール、環境そして機能の基準は特に厳格ではなく、Linuxが全て同じでないという結果を生み出している。

皮肉にもこの「同じでない」事こそが、Linux最大の強みであり、全てのユーザーを満足させる多様性なのだ。

0 comments:

コメントを投稿