2013年10月15日火曜日

iWatchの普及に不可欠なもの

iWatchの普及に不可欠なもの
2013年10月15日
TEXT:小川 浩(シリアルアントレプレナー)

僕はウェアラブルのスマートデバイス市場に対しては、若干懐疑的な立場だ。同時に、日本メーカーははやくスマートフォンから撤退して、ウェアラブルデバイスの開発に取り組んだほうがいいとも言っている。一見矛盾しているように聞こえるだろう。

懐疑的である理由は、ふたつある。ひとつ目は、眼鏡型のデバイスに対する疑念だ。眼鏡は医療具であると同時に、ファッションアイテムでもある。Google GlassにしてもTelepathy Oneにしても、装着して歩く人は奇異の目で見られることはまちがいない。もし眼鏡型のウェアラブルデバイスに市場があるとすれば、倉庫や工事現場などの作業員向けツールのような用途だろう。スキーヤーやラリードライバーにも向くかもしれない。いずれにしても他人の目を気にしないですむ環境での、特殊な用途に限定されると僕は思う。進化して、見た目には普通の眼鏡と変わらないサイズとデザインに落ち着いたとしても、もっと過激にコンタクトレンズ型になったとしても、やはり一般人が何気なく使うという状態になるまでには相当な時間がかかると思う。

ふたつ目の懐疑的な見方は、Appleが開発していると言われる時計型デバイスの市場性についてだ。すでにSamsungがリリースもしているが、腕時計にスマートフォンとの連携機能を加えたものに、あまり需要があるように思えない。時計はアートというかジュエリーとしての用途のほうが重要であり、時計好きであればあるほどデジタル液晶の時計を好まない。スマートフォンを手に取ればいいのに、わざわざ時計型のデバイスを買うというモチベーションを、Samsungのガジェットには感じなかった。Appleなら別だと言い切ることも、これまではできなかった。

しかし、スマートフォンが携帯電話というよりは、通話機能がついた携帯コンピュータであるように、iWatchもまた、時計型スマートフォンというよりも、腕につけるコンピュータであると考えれば話が違ってくる。

つまりiWatchとは、従来の腕時計と手首を奪い合う商品ではなく、もう片方の腕につけるハイテクアクセサリーとしてみるべきかもしれない。実際、僕も右手首に時計をつけて、左手首には革などのブレスレットをつけることを好んでいる。右手に時計をしたうえで、左手首にはめてもおかしくないデザインを作ってくれるなら、iWatchを買う可能性が少なくとも僕には出てくる。

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