「SNSの友達のほうが自分より楽しい人生を送っているのでは?」FOMOによって生じる不安を把握し、その対処法を考える。
私は先日、1年以上会っていなかった友達と偶然再会した。お互いの近況について話しているうち、気付けば私はこの友達に強い嫉妬感を覚えていた。彼女は最近ヨーロッパに引っ越し、大学院への進学準備をしているのだという。一方私はと言えば、目新しい出来事は今年新しいベンチャー企業に勤め始めたことくらいで、普段は出会い系サイトで一風変ったデートを繰り返すだけの毎日だった。
彼女がFacebookに投稿したフィレンツェの素敵なアパートの写真を見せてくれときにはさらに深い悲しみに襲われた。彼女の写真はどれもこれも私には到底望めそうもない体験を映し出したものばかりだったのだ。そして彼女は「あなたの生活もとっても楽しそうね」と口走った。
私の生活が楽しそうですって?彼女が3ヶ月間ずっとイタリアのまぶしい太陽を浴びている間、私は毎日パソコンの青白い光の前に座っていただけだったのに?私の日常と言えば、朝会社に出勤し、帰りにヨガ・スタジオに寄り、家に帰って寝ることの繰り返しだ。でも確かに私はそんな話までは彼女にしなかった。1年間の溝を埋めるのに、日常の些細な事まで話す必要はないからだ。ソーシャルネットワークに投稿される友達の刺激的な近況を見るたびに、はたして自分は本当に充実した生活を送っているのかと不安になってしまう。この不快な感覚を最近ではFOMOと呼ぶらしい。「Fear Of Missing Out」、つまり「取り残される不安」である。
ウェブ2.0だけが原因ではないFOMOは現代の情報過多社会の副作用であると多くの人が信じているようだが、実はその歴史は有史以前にまでさかのぼることができる。古代社会においてはグループ内で孤立するということは死刑宣告と同じ意味を持っていた。私たちの原始的な脳は、疎外されることを恐れ、他者に認められることを渇望するようにできているのだ。たとえグループへの帰属が生死に直結しなくなった現代においても、この本能はFOMOという形で私たちの上に影を落としているのである。
現代社会では、ソーシャルネットワークがこのFOMOをさらに悪化させている。いかにも楽しそうな出来事がリアルタイムに次々と投稿されるためだ。実生活ではほとんど会うこともない数百人に及ぶ「友達」が美味しそうな食事、親密な友情、華やかなウィークエンドについて絶え間ない投稿を行っている。…
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