毎回、街の絶滅危惧種と思われるガジェット等を紹介してきた本連載だが、今回は少し視点を変え、「既に無くなったモノの跡地」を観察してみる。
●過去の"当たり前"が変わるとき
西新宿の地下道を歩いていたところ、このような無機質な空間の一角に、くぼみに不自然な台と、何かを塞いだパネルがあった。何の役にも立たない無用な設備、いわゆる「トマソン」とでも言うべきものだ。もともとは何だったのだろうと不思議に感じて観察していると、この対面の壁に答えがあった。
向かいと同様の台と、公衆電話。これを見て、もともと左右両側に公衆電話があったのだろう、と理解できた。こちら側の公衆電話はなぜか台の上ではなく壁に付けるかたちで残存しており、これはこれで不自然に感じる光景だが、先の写真の塞いだパネルの向こうには電話線や電源を引いていたのであろうことは推測できよう。
公衆電話の跡地はなぜ残り続けるのか。これはあくまで推測だが、つい20年ほど前までは公共施設やビルなどの建物や空間を設計する際に、トイレや階段があるのと同様、公衆電話の設置スペースも最初から「当たり前に」あることを前提として考えられていたのではないだろうか。
ところがそれ以降、携帯電話の急速な普及により相対的に公衆電話のニーズは減少の一途をたどっていったのは想像に難くない。維持費等を考えると撤去というのが自然な流れで、簡単にまとめると当時の感覚として「要らなくなるとは思ってもみなかった」という事情があったのかもしれない。…
●過去の"当たり前"が変わるとき
西新宿の地下道を歩いていたところ、このような無機質な空間の一角に、くぼみに不自然な台と、何かを塞いだパネルがあった。何の役にも立たない無用な設備、いわゆる「トマソン」とでも言うべきものだ。もともとは何だったのだろうと不思議に感じて観察していると、この対面の壁に答えがあった。
向かいと同様の台と、公衆電話。これを見て、もともと左右両側に公衆電話があったのだろう、と理解できた。こちら側の公衆電話はなぜか台の上ではなく壁に付けるかたちで残存しており、これはこれで不自然に感じる光景だが、先の写真の塞いだパネルの向こうには電話線や電源を引いていたのであろうことは推測できよう。
公衆電話の跡地はなぜ残り続けるのか。これはあくまで推測だが、つい20年ほど前までは公共施設やビルなどの建物や空間を設計する際に、トイレや階段があるのと同様、公衆電話の設置スペースも最初から「当たり前に」あることを前提として考えられていたのではないだろうか。
ところがそれ以降、携帯電話の急速な普及により相対的に公衆電話のニーズは減少の一途をたどっていったのは想像に難くない。維持費等を考えると撤去というのが自然な流れで、簡単にまとめると当時の感覚として「要らなくなるとは思ってもみなかった」という事情があったのかもしれない。…
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