2018年5月15日火曜日

シリコンバレーで7年、KDDIが培ってきたモノ

●シリコンバレーと日本を繋ぐための努力
前回の記事では、KDDIがなぜ、シリコンバレーで活動するのかを、KDDI Investment Teamの傍島 健友氏に尋ねた。傍島氏は、KDDIが統合した3社(DDI、KDD、IDO)のうち、DDIに入社した。セルラーのインフラ部隊に所属して、現行の通信規格である4G(LTE)の前身の3G(CDMA-2000)の立ち上げなどに技術者として関与していたという。

その後、法人ソリューションサービスの企画部門に携わり、そして前回触れたKDDI Open Innovation Fundなどのチームへと籍を移すことになる。そのチームでは、「KDDI ∞ Labo」と呼ばれるベンチャー支援プログラムが2011年より行われている。ラボに携わる中で「やはりシリコンバレーに行きたい」という思いを強くしたと傍島氏は振り返る。

○文化の違いを肌身で体感

サンフランシスコ拠点は2011年に立ち上げ、メンバーはわずか2名だった。

「当然ながら、こちらの人は『KDDI』と言われても、誰も知らない。ゼロからの立ち上げで当時の担当者は相当苦労しました。2011年に初めて、こちらのベンチャーキャピタル(VC)を呼んでパーティーをしたんです。当時の社長である田中や、現社長の髙橋も来て、経営陣が一体となって『一緒にやっていきましょう』と。そんなスタートだったんです」(傍島氏)

傍島氏自身の赴任は2015年から。

シリコンバレーとはどういう場所なのか、ある程度想像していたようだが、「生活して初めてわかることが本当に多かった」という。もちろん、日本でも知らない土地に引っ越せば、ある程度の空気感の違いはある。ただ、言語やビジネスの商慣習などを含め、傍島氏にとって身につけなければならない感覚はあまりにも多かったようだ。

「子供が2人いるのですが、学校に行ってどういう生活をしているのかと思ったら、小学生からパワーポイントでプレゼンテーションしているんですよ。それも小学校2、3年生の子供たちが。どう相手に伝えるのか、どうしたら伝わるのか、それに対して多くの質問をぶつける、その訓練をそんな小さい頃からやっている。だから、コミュニケーション力の地力があるのだなと感じましたね」(傍島氏)

子供の話で言えば、アメリカは日本と比べて治安が悪い。そのため、子供だけを公園で遊ばせるわけに行かず、共働き夫婦であっても早々に学校へ迎えに行かなくてはならない。さらに言えば、日本の都市部と異なり市域が非常に広いため、移動に手間がかかる。そうした事情から、車で運転しながらの電話会議や、ご飯を食べながらの会議は日常茶飯事だという。

「こちらの人は、確かに皆、家族の時間を大切にします。ですが、働き盛りの子育て世代は、日本と同じでずっと働いています(笑)。一方で、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを日本は重要視しますが、こちらは移動も大変なので、ある程度割り切っています。歩きながら電話会議をする人もいるように、とにかく空き時間を減らすことで、効率よく仕事しているのです」(傍島氏)
○日本の感覚を忘れずに、メルマガの意味

前回で触れた傍島氏のミッションは、スタートアップへの投資と、投資先製品・サービスの日本進出支援だが、それとは別に大切な業務がある。それが「メルマガ」だ。

「社長以下、1500名以上に『オフィス カルフォルニア』というメールマガジンを送っています。アメリカで起こった大きな出来事と"チョキスタ"と呼ぶ『ちょっと気になるスタートアップ』、そしてコラムの三章立てです(笑)。このメルマガで大切にしていることは、いかに日本にいるKDDIグループの社員に現地での肌感覚を伝え、また日本の肌感覚を拾えるか。こちらで付き合いのあるメンバーの感覚だけでは、意見が偏ってしまう。ITにちょっと自信のない社員からの返信は、とても大切にしています」(傍島氏)

傍島氏のメルマガは、経営陣も返信するなど好評だという。だからこそ、ITの先端の地の最新の生の声をどう届けるか、そしてダイレクトに返ってくる「お客さまに近い声」を感じることで、日々の業務に還元していく循環を、傍島氏は意識している。もちろん、一番の狙いは、日本にどう影響を与えたいか。

「私がメルマガを書き続ける一番の理由は、最先端に近い情報に触れることで、『考えるきっかけ』を作ってほしいのです。一人ひとりの『こういう意見』が、経営戦略部門から事業戦略、サービス、バックオフィスまで、色々な部門で生まれるきっかけを提供したい。もしそれぞれの担当者がアクションを起こすきっかけになると、私一人ができる仕事の数十倍、数百倍の価値があると思うのです」(傍島氏)

●シリコンバレーで働く意義とは?
シリコンバレーで起こっていること自体は、アメリカのテクノロジー系メディアを見れば、ある程度情報を収集できるようにも思う。だが、傍島氏からすれば「メディアや調査会社など、お金を使って色々な情報は集められると思います。でも本質的な"体験"をしないことには、その価値を伝えられない」という。「価値を知るからこそ、本当に良いものを日本に持ち込めるのです」(傍島氏)。

筆者自身、今回の取材で初めてシリコンバレーに降り立ったが、日本ではお試しの1回しか利用したことのなかったライドシェアアプリのUberが、なぜ流行ったのかを体感した。

これはあくまで"にわか"な筆者の感想だが、日本においてUberアプリは、ただのタクシー配車アプリでしかなく、しかも町中を流しのタクシーが絶えず走っている。この環境でアプリをわざわざ使う理由に乏しく、せいぜい現金やカードをその場でやり取りしなくても良いという程度のものだろう。

一方のアメリカでは、「ライドシェア」としてマイカー所有者が自分の余暇時間にUberでお小遣い稼ぎをやっている。利用者側の選択肢としても、相乗りの「Uber Pool」や、大通り間の乗車で割り引く「Uber Express Pool」など、さまざまな料金設定がある。ましてや、ちょっと駅近くの商店街まで歩いて……と思ったら、30分以上かかるような土地柄、「だからUberが流行るのだ」とようやく納得できたものだ。

もちろん、傍島氏はこんな程度の低い感想ではなく、むしろVCとの意見交換などを通して、数年先の会社のビジョンとスタートアップを結びつける、さながら事業家の感性で「本質的な体験」を必要としているのだろう。

傍島氏は「私自身も本質的な部分は、まだまだわかっていない」とも語るが、それは「グローバルを体感できる環境で育っていない部分が大きい」と自己分析する。そもそもスタートアップを立ち上げる連続起業家のサービスの組み立て方が、日本人とは大きく異なるがゆえ、そこの理解に苦労する部分があるといったイメージだろうか。
○7年があるからこそ、今がある

サンフランシスコ拠点ができてからの7年は、短いようで長く、そして大切な年月と傍島氏は話す。

「日本でも同じですけれど、雑談で『良い情報教えてよ』と軽く話しても、本当に良い情報は普通教えませんよね(笑)。それと同じで、KDDIの社員自身が7年前から根ざしてやってきた、ローカルにコミットした活動が、大切だなと。VCと話すと、日本人の多くは転勤族だからか、『何年こっちにいるの?』『いつ帰るの?』と聞かれます。それは、1年で帰ってしまう人間と仲良く出来ないってことですよね」(傍島氏)

スタートアップとの会話の中には、「日本には興味あるのだけど、あまりよくわからない」という言葉もよく聞くようだ。これに対して傍島氏は、KDDI ∞ Laboで培ってきた、ベンチャー支援の枠組みを通して「KDDIを使い倒して、一緒にやろう」と声をかけていると言う。

「日本では我々が持っているアセットは本当にたくさんあります。そして私たちの仕事は、『日本のお客さまに良いものを届ける』こと。アメリカで成功しても日本でうまくいかないという事例も多々ありますが、『日本にもチャンスがあるのだ』という空気を伝えたい。私たちはレベニューシェアでアプリベンダーさまに収益を還元する『auスマートパス』をいち早くスタートさせましたが、そのビジネスモデルはこちらでもかなりの好感触ですし、そうしたものと組み合わせて成功モデルを作りたい。」(傍島氏)

「スタートアップ」は、どれも眩しく、そして暗い未来が待ち構えている可能性もある。ITの先端を行くシリコンバレーの地であっても、「本当の価値」をいかに見出すかは、長期間に渡る「目利き力」の磨きと、「関係性構築」の作業が必要なようだ。

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