【田原】森川さんは最初、日本テレビにいらっしゃったと聞きました。そこでは、いったい何を?
【森川】コンピュータのシステムの仕事をしていました。最初は財務システムの担当だったので、辞めたくて仕方がなかったんです。でも、半年後には報道のデジタル化の仕事を手伝うように。当時はニュース原稿が手書きの時代でしたが、それをデータベースにためたり、プロンプターにデジタルで出す仕組みなどをつくっていました。
【田原】その後、ソニーに転職された。テレビ局からメーカーなら、おそらく給料は落ちますね。どうして?
【森川】テレビ局に約10年いて、後半はインターネットや衛星放送、あとは海外展開などの新規事業をやらせてもらいました。でも、やっぱりテレビ局は地上波がメーンだった。一方、ソニーは端末をつくり、コンテンツもやり、さらに当時は出井(伸之)さん中心にそれらをつなげた新しいネットワークのビジネスをつくろうとしていました。そこは僕がやってきたキャリアに近いので、やってみたいなと。
【田原】でも、結局はソニーも辞めましたね。ソニーじゃ満足できなかった?
【森川】通信のカンパニーに入って、トヨタさん、東急さんとブロードバンドサービスのジョイントベンチャーをやったのですが、その会社がうまくいき始めると、本社から退職間際のおじさんが入ってきました。大企業の関連会社は、やっぱりそういうものから逃れられないんですよね。それで、何のしがらみもない真っさらな会社で働きたいと思いまして。
【田原】ソニーでは「他社と差別化しろ」と盛んに言われたけど、森川さんは「差別化がむしろマイナスになる」と考えていたそうですね。これはどういうことですか。
【森川】差別化って模倣されるのでとても難しくて、結局、「ほかにない技術」ということになってしまいます。その技術が求められてなくても、とにかくそれを使って商品をつくれというのが差別化になり、そこには「人がまず何を欲しがっているのか」という発想がなくなってしまうんですよね。たとえば当時、デジタルウォークマンという製品があったのですが、まず技術ありきなので、ある特定のセキュリティ技術を使わないと音楽がコピーできませんでした。…
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