2014年5月18日日曜日

私がFacebookをやめられない理由

私はまだ、Facebookの「いいね」に捕らわれている。

数ヶ月前、私はオンライン中の貴重な時間を消費してしまうソーシャルネットワークを放棄できないかという実験を開始した。その後、私は自分が必要としている以上の交友関係をFacebookに頼って維持している事に気付いた。Facebookを放棄することは、これらの友達を放棄することであり、それは私が思っていたよりも遥かに大変なことだと判明した。

2月3日、私の投稿:

Facebook10周年を記念し、私はアカウントを停止しようと思います。管理が大変だし、また(正直なところ)雑音が多過ぎます。私に連絡する際は、TwitterかSkype @selenalarson、或いはEメールでお願いします。

私の決心は続かなかった。

Facebookを退会すると宣言した後、「やめないで」という内容の数件のメールとFacebookからのメッセージを受け取った。だが私はこの実験を続けたかったので、友達には「連絡を取る際はメールかツイートしてね」と伝えておいた。

ReadWriteのソーシャルレポーターとして、実際のアカウント無しではFacebookをカバーできない為、私はアカウントを完全には停止しなかった。そのため未だに「写真にタグ付けされました」或いは「イベントに招待されました」といった不定期の通知が届く。だが、誰も私の過去の写真にコメントしたり、会話を始めたり、或いは挨拶がてらに連絡をとって来たりはしなかった。

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交友関係を諦めるか、或いはプライバシーを諦めるか

友達がFacebookに投稿するくだらないリンクの数が多すぎることが私のストレスの直接的な原因だった訳ではないが、くだらないリンクが多すぎることは事実だし、私は友達リストから彼らを削除しようと思う。問題なのはこうした友達以上に、Facebookが私についてあまりにも多くを知っている事だった。

友達と連絡を取る手段としてFacebookを利用する為に、私はFacebookにインターネット上の個人生活へとアクセスすることを許している。Facebookは、私の好きな映画、住んでいる場所、親友達、使っているアプリを知っている。なぜならこの7年間、私はFacebookに情報を与えながら過ごしてきたからだ。手を引くには遅すぎるが、私は今、記事よりも自分のプライバシーを大事にしようと決めた。

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