「話し方」より「答え方」:
「文章が苦手」という人は多いものです。しかし「水泳が苦手」な人が「息継ぎができない」「5メートルで沈む」など「何ができないのか」を具体的に自覚しているのに対して、「文章が苦手」という人は自分の文章のどこがダメなのかが具体的に分からないまま「なんとなく苦手」と思ってしまいがち。
特に就活生からよく相談されるのが、「書いた文章がなんとなく幼稚」「学生っぽくなってしまう」という悩みです。でも、どの部分が「子どもっぽさ」を感じさせているのかが自分では分からないというのです。
●問題「新メニューのステーキセットに添えるデザートを検討中です。ゆずシャーベットを一番に推すリポートを書きなさい。」
× 私はゆずシャーベットが一番いいと思う。ステーキを食べた後は口の中が脂っこくなるが、シャーベットのシャリシャリ感でさっぱりするし、なによりゆずのいい香りと酸味。あまり主張しないので、メニュー全体の中でも違和感がないと思う。
○ ステーキの後のデザートには、ゆずシャーベットが最適である。アイスクリームと異なり氷粒が大きいため口の中の脂分が落とされ、かんきつ系の香りと酸味が清涼感を与える。しかも他の料理に比べ味と香りが強くないため、メニュー全体のバランスが保たれる。
フォーマルな文章に「私は」という主語は不要です。
フォーマルな文章とは論文、新聞記事、報告書、仕事上のメールなどです。これらは物事を正確に、つまり客観的に説明する文章。そこに書き手の主観が混じると「説明の正確さ」に疑念を抱かれてしまうのです。そこでフォーマルな文章、客観的な文章を書くときには「私は」を主語に使わず、物事を主語にする必要があるのです。
「私はゆずシャーベットが一番いいと思う」ではなく「ゆずシャーベットが最適である」。
「(私は)違和感がないと思う」ではなく、「バランスが保たれる」。
実は「なんとなく子どもっぽい文章」という印象を与えてしまう1番の原因は、この「私は」にあったのです。確かに小学校の作文は「ぼくは、わたしは」でした。小学生には半径5メートルの個人的体験以上のものは求められていないからです。
客観的文章=「私は」ではなく、物事を主語にする
論文指導でよく聞かれる質問に「『~と思う』を使うと主張が弱くなる気がするし、『~である』って言い切ると今度は強すぎる気がするんですけど?」というものがあります。…
「文章が苦手」という人は多いものです。しかし「水泳が苦手」な人が「息継ぎができない」「5メートルで沈む」など「何ができないのか」を具体的に自覚しているのに対して、「文章が苦手」という人は自分の文章のどこがダメなのかが具体的に分からないまま「なんとなく苦手」と思ってしまいがち。
特に就活生からよく相談されるのが、「書いた文章がなんとなく幼稚」「学生っぽくなってしまう」という悩みです。でも、どの部分が「子どもっぽさ」を感じさせているのかが自分では分からないというのです。
●問題「新メニューのステーキセットに添えるデザートを検討中です。ゆずシャーベットを一番に推すリポートを書きなさい。」
× 私はゆずシャーベットが一番いいと思う。ステーキを食べた後は口の中が脂っこくなるが、シャーベットのシャリシャリ感でさっぱりするし、なによりゆずのいい香りと酸味。あまり主張しないので、メニュー全体の中でも違和感がないと思う。
○ ステーキの後のデザートには、ゆずシャーベットが最適である。アイスクリームと異なり氷粒が大きいため口の中の脂分が落とされ、かんきつ系の香りと酸味が清涼感を与える。しかも他の料理に比べ味と香りが強くないため、メニュー全体のバランスが保たれる。
フォーマルな文章に「私は」という主語は不要です。
フォーマルな文章とは論文、新聞記事、報告書、仕事上のメールなどです。これらは物事を正確に、つまり客観的に説明する文章。そこに書き手の主観が混じると「説明の正確さ」に疑念を抱かれてしまうのです。そこでフォーマルな文章、客観的な文章を書くときには「私は」を主語に使わず、物事を主語にする必要があるのです。
「私はゆずシャーベットが一番いいと思う」ではなく「ゆずシャーベットが最適である」。
「(私は)違和感がないと思う」ではなく、「バランスが保たれる」。
実は「なんとなく子どもっぽい文章」という印象を与えてしまう1番の原因は、この「私は」にあったのです。確かに小学校の作文は「ぼくは、わたしは」でした。小学生には半径5メートルの個人的体験以上のものは求められていないからです。
客観的文章=「私は」ではなく、物事を主語にする
論文指導でよく聞かれる質問に「『~と思う』を使うと主張が弱くなる気がするし、『~である』って言い切ると今度は強すぎる気がするんですけど?」というものがあります。…
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